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馬車道エリア
「指路(しろ)」という名前がとても珍しい教会です。これは、創設者であるヘボンさん(ヘボン式ローマ字の開祖)のお国の教会「Shiloh Church」を元の語源(救い主)を踏まえながら日本語にしたものだそうです。見所は玄関のバラ窓です。
この建物は元の旧第一銀行があった場所から曳家という工事で移築されたものです。現存しているのはバルコニー部分だけですが、トスカナ式オーダーの列柱がオーラを放っています。
生糸の保管業務を行っていた帝蚕倉庫の事務所だった建物です。現在この建物がある北仲通り地区は再開発が進行中で、その仮期間、北仲ブリックと称し、アートスペースとして活用されていました。今後はクリエイターのオフィスとして利用される予定だそうです。
かつて栄華を誇った生糸貿易の名残、旧生糸検査所、通称キーケンを復元した建物です。現在は合同庁舎として利用されていますが、正面上部には生糸貿易の名残を示す、蚕蛾の彫刻が据えられています。
関内大通りと本町通りがぶつかるところにあります。内部は頼まないと見学出来ないようですが、アールデコ様式の特徴でもあるテラコッタ装飾が美しい建物です。増築である4階をのぞくと、四角形のフォルムが愛らしく、車寄せの部分も非常にユニークです。
馬車道駅近くにあるゴージャスな建物です。安田銀行から富士銀行へと引き継がれ、現在は東京芸術大学のキャンパスとして活用されており、巨大な金庫扉などをいかした改修がなされているようです。
お隣に旧富士銀行、斜め向かいには県立博物館がそびえる中、ひっそりとたたずむシンプルな近代建築物です。協同飼料研究所として建設され、現在は大和興業という会社が所有しています。地下にはギャラリーや屋上は、申し込めば使用できるようです。
圧倒的な存在感を誇る建物です。博物館の展示以外にもショップや喫茶などがあり自由に館内を歩くことが出来ます。金庫室の面影を残す地下室の壁は1.3mの厚さがあるそうです。
このビルは横浜市が昭和63年より推進している「歴史を生かしたまちづくり」計画の認定第一号です。歴史的建造物の新しい保存方法の先駆けとして、ビルの再生過程には多くの人の努力が費やされ、構想から解体、新築の工事は2年の長期間に及んだそうです。
海岸通りエリア
2階まで貫く太い円柱が壮観です。ビルの所有者である日本郵船株式会社は三菱グループの源で、世界第二位の海運会社として君臨しています。現在も2Fには日本郵船横浜支店があり、1Fは船の歴史を精巧な模型などで紹介する博物館になっています。おみやげコーナーも充実しており、氷川丸とあわせて見学する割引サービスがお得です。
横浜を象徴する建物のひとつ、通称クイーンです。キング(神奈川県庁)、ジャック(開港記念会館)と共に三塔と呼ばれ、その中で最も高い51mの高さを誇りますが、それは国の機関である税関を県庁より高くしたかった意図によるものだそうです。当時は三塔が港に入ってきた船の目印であり、トランプ柄の愛称もその時につけられました。1Fフロアは密輸品などの展示が行われており、無料で閲覧することが出来ます。
明治末期から大正にかけて建設された保税倉庫です。設計は県立歴史博物館も手がけた、妻木頼黄(つまきよりなか)という建築家によって行われました。赤レンガ倉庫は日本初のエレベーターや避雷針を備えていたばかりでなく、耐震性にも優れ、特に二号館(ショッピングモールの方)は関東大震災の被害を殆ど受けなかったそうです。
キングの愛称で親しまれる神奈川県庁は、西洋建築に和風の屋根を乗せた帝冠様式の代表的作品です。この独特な意匠は、昭和初期のナショナリズムが背景にあり、軍服を着た建物という異名でよばれることもあります。
日本の鎖国を終わらせた日米和親条約は、この開港資料館付近で締結されたといわれています。昭和47年まで英国領事館として使用されていた建物は、英国のクラシックなスタイルと日本のコリント式円柱(正面)が特徴です。
開港広場前に建つ、ペパーミントグリーンの塔が印象的な教会です。前身である日本基督公会は日本人による最初のプロテスタント教会とされており、1879年には初めてのクリスマスミサ(日本人による)が行われたそうです。一般的にプロテスタントの教会堂内部は簡素な物が多いらしいのですが、この教会は内部も重厚なつくりになっています。
関東大震災以前の外国商館として、唯一現存する貴重な建物です。現在の建物は、旧英国七番館であった頃の一部分で、平和を訴える記念館として使用されています。七番とは山下町7番の番地を意味し、門柱にもNo7という文字が彫りこまれています。
日本を代表するクラシックホテル・ホテルニューグランドは、関東大震災復興のシンボルでもあります。ほぼ当時のままであるロビーは圧倒的な雰囲気で、同じく重厚な玄関部分とあわせ、大きな見所のひとつとなっています。
日本大通り・本町通りエリア
明治16年に建てられ、ダイナマイトの販売や日本茶の輸出をしていたモリソン商会が使用していた、横浜最古の洋風建築です。現在残っている建物は当時の一部ですが、今後は神奈川県指定重要文化財として保存されていくようです。
昭和4年に建設され、長い間横浜市外電話局として稼働していた建物です。NTTの移転を機に横浜市の所有となり、現在は横浜都市発展記念館、横浜ユーラシア文化館として利用されています。
関東大震災後の商工会を奨励する目的で建てられました。同時期のホテルニューグランドによく似た雰囲気で、現在は横浜情報文化センターとして活用されています。
国内初の鉄筋コンクリート建築としてオフィスビルの先駆けとなった建物です。建物の背後にある倉庫(現日東倉庫)には、国家財政を左右するほどの生糸が保管されていたといわれています。
もとは日本綿花横浜支店だった建物が戦後接収され、昭和35年からは大蔵省、横浜地方裁判所などが使用してきました。現在は横浜のアーティストの拠点となるアートスペース・zaimビルとして知られており、様々なイベントが企画されています。
戦後にB・C級戦犯を裁く軍事法廷としても利用された旧横浜地方裁判所です。平成9年に解体され、法廷内部を桐蔭大学に保存した後、低層部分が新庁舎新築の際に復元されました。
神奈川県庁と開港記念会館の間にある近代建築物・旧本庁旭町ビルを保全、活用した建物です。現在のビル本体の飾りのような形で残されているだけとなっていますが、壁面のテラコッタと入り口を装飾している四角いタイルの模様がきれいです。
三塔のひとつ、ジャックです。遠くからでもよく見える派手な色彩と時計塔は、馬車道の県立博物館に匹敵する存在感を誇ります。開港記念会館の名の通り、横浜開港50年を記念して建設され、当時は横浜政財界のサロンや文化施設として活用されていました。その後、震災や戦災による被災→修復を経て、現在は公会堂として利用されています。
横浜に残された多くの銀行建築の中で、現在も銀行として稼働している唯一の建物です。正面のイオニア式と呼ばれる4本の円柱が特徴で、内部もクラシックな雰囲気が保たれています。